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あらすじ(1)

 篤姫は薩摩藩島津今泉家第5代領主、島津忠剛の子として、鹿児島城下鶴松城北東にある重臣屋敷で生まれ、島津一子(かつこ)とよばれた。 後に敬子(すみこ)に改名した。 島津斉彬の実子説もある。 肝付尚五郎(後の小松帯刀)とは幼なじみで、一緒に学問を学んだとされる。

 第13代将軍徳川家定は、生まれながら体が病弱だった為、次期将軍に一橋慶喜(徳川慶喜)を推す一橋派(老中・阿部正弘、水戸藩主・徳川斉昭、島津斉彬)と、紀州慶福(徳川家茂)を推す紀州派(老中・水野忠央)が対立する。
 その頃、徳川家定の第1の正室及び第2の正室は若くして死去していた為、第3の正室は健康な血筋が望まれ、第11代将軍徳川家斉の正室茂姫の血筋を引く者たちが、非常に健康であったことから、幕府は茂姫の親元である島津家から正室を出すよう要求した。
 島津斉彬は、それに便乗し、大奥を利用して次期将軍争いを有利に運ぶ事を画策し、島津一門の島津忠剛の娘、敬子を抜擢した。
 1853年、敬子は薩摩藩主・島津斉彬の養女となり、3ヶ月間鹿児島城で過ごした後、江戸の芝藩邸に入り、輿入れの準備をする。
 しかし、次期将軍争いで不利になると考えた紀州派は、島津家は外様である事を理由に抵抗し、すぐに輿入れはできなかった。
 1856年、島津斉彬の姉が嫁いでいた右大臣・近衛忠熙の養女となり、その後、徳川家定の第3の正室として大奥へ入ったが、当時大奥は紀州派の滝山が支配しており、一橋派の篤姫を良く思う者は少なかった。 敏腕政治家で、一橋派の中心人物だった幕府家老・阿部正弘が病死すると、紀州派の井伊直弼が大老に就任し、篤姫は激しく対立することとなる。
 1558年、次期将軍には紀州藩慶福に決定。 それから間もなく徳川家定が死去。 さらに、島津斉彬も病死してしまい、一橋派は立て続けに重要人物を失ってしまった。

 篤姫が徳川家定亡き後、髪をおろして「天璋院」と名乗ったのは、まだ20歳代前半の頃であった。

(つづく)
posted by 松平 at 23:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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